病んでた時に書いた
面接で「部活動やサークル活動について」聞かれたんですが、映像を作ったことしか答えられなかった
私は3年間映像を作ることに計24000円払ったのかと聞かれれば、そうではないはずなのですが そこまで先導して映像の仕事やった訳でもないし
そうなると、さて、私は3年間一体何をしていたんでしょうかという話
上の文書いて「私はすぐお金の話をするなあ」と思いました そういうところもあるよね 実質的な損得の話に持ち込もうとするのも敬遠される理由なのかもしれない
飲み会で「みくってなんで同期に好かれないんだろうね」と某同期に言われて そんなことある?という顔をしました 流石に面白い
さてそんな私ですが翌日にシフトさえ入らなければ、次回企画されている同期飲み、チョコレッツ4年目にして初めて参戦します
果たして居場所はあるのか 乞うご期待
と、思っていたんですが残念ながら舞浜のシフトが翌日に入ってしまったため期飲み行けませんでした残念
花見も行けないね シフト入ってるし
基本的に卑屈なんだよね 根っこが
母親が結構な卑屈で、家庭環境を理由にするのはセンスがないんですけど、蛙の子は蛙というか何というか
近くに卑屈な人間がいる場合は見栄っ張りなので「良い人でいなければいけない」という使命感のもとかなり卑屈とは無縁の前向きな人間になれるんですけど、ううむ
卑屈なので誰に必要とされているのか分からなくなってどこにいるべきか分からなくなる
チョコレッツにおいてこれが顕著なのはどうしてなんだろう
都合のいいことを言っている自覚しかないのですが、両手を広げて「ここにいていいよ!」と言われたい 言われないと居られない
私にはもちろんサークル以外のコミュニティがあるし、それは例えばバンもん!のオタクの界隈だとかバイト先の仲の良いグループだったりもする 学校にももちろん友達はいる(と思っている)
(と思っている)と保険をかけがち 傷つかないための予防線
話を戻して
その各種コミュニティには多分居場所があるし、居心地の悪さというか、ストレスのようなものは感じない
どうして私はこのサークルのコミュニティに完全に溶け込めないのか
プツッと途中でいきなり線が切れる感覚
ヘラヘラして周りの人達と話しているのが急に苦痛になる瞬間が訪れがち チョコだけ
ふと我に返って、「どうしてこんなに頑張っているんだろう?」と自問自答が始まってしまう時がある 大して頑張ってもいないのに
仲良くなりたい?うまくやっていきたいのになぜかうまくいかない どうして
とかなんとかつらつら書いて下書きに入れっぱなしだったので供養しますこの記事
でもこの前のドライブは楽しかったしこんな私でも仲良くしてくれる人いるんだなあよかったなあという気持ちになった
はっちゃんともう少し前から仲良くしておけばよかったなあと思った つっきーと仲良い理由が分かった 説明はむずかしい感じなんだけどね
少人数なら大丈夫なのかな 大所帯が苦手なのかもしれない
チョコレッツは悪くない うんうん
と、媚を売って終わり